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テーマを絞った随筆(エッセイ)集です

小田急9000形の思い出 2006/05/06
 昭和47年のある日。小学校3年生のオイラはいつも通りに通学路を歩いていた。片道40 分ほどの通学路も、小田急線の高架ををくぐれば学校が見えてくる。
 「なんだ!アレ?」
 一人の級友が指した先には、ヘンテコな顔した見慣れない車両が駆け抜けていた。アッ という間に過ぎ去った新車両。
 「見た?」
 「確かに見たよ、オレ」
 「タレ目だったな」

 校舎の窓からも見える小田急線。この日は授業どころではなかった。
 「また来たぞ!」
 ドーッと、クラスの生徒が窓際に集中する。若いオナゴ先生も、この日ばかりは目をつむ りっぱなしだった。
 「白いわねー」
 「変な顔」
 普段電車なんかに興味のない女子たちも、通過する新車両に興味津々だった。

 こんな9000形を、更に身近に体験できる機会が1ヶ月後に訪れた。3年生の遠足が小田 原城に決まったのだ。往復とも小田急の車両2両を借り切る遠足だ。
 「新原町田」の駅で、我らが乗り込む車両を待つ。「小さく前習え」の号令と共に、狭いホ ームを他の乗客たちに迷惑を掛けないように整列した。やがて、急行列車到来のアナウ ンス。そして、入線してきた列車は・・・。
 「なんだよー、メガネかよ」
 「メガネ」とは、2200形車両のこと。全面のマスクが2枚窓で、メガネみたいだから。この 車両、当時の1800形よりはマシだったけど、とにかくよく揺れた。椅子のサスペンションは バネだから、座っている人はみんな一斉に跳び弾んでいた。

 さて、復路。こちらも期待に見事に裏切られて4000形車両だった。こちらの車両は当時 にしては新しかったのだが、とにかくモーターの唸りがうるさかった。ゴーという加速音は迫 力満点、しかもブレーキ音もキーキーとやかましかった。一生懸命に走って、停まる。音だ け聴けば、電車の悲鳴にも聞こえた。
 海老名駅に停車。各駅停車が急行をやり過ごすために待避していた。その各停の車両 が9000形だったのだ。短い停車時間内に男子たちは9000形に乗り移る。車両の扉間を走 り抜いて急行に生還するというゲームの始まりだ。残念ながら、我がクラスの小海君が海 老名駅に置き去りになってしまった。

 9000形車両の営業運転は先月をもって終了したそうです。これまでの引退車両と違っ て、明らかなボロさが目立たなかっただけに「早すぎる」と感じるのはオイラだけでしょう か。誕生当時から冷房装備、側面一枚窓ガラス、そして地下・地上両用の設備などなど。 そして、その後の各電鉄会社のデザインに影響を及ぼした「タレ目」スタイルの正面ルック ス。
 来る2006年5月13日 土曜日、「さよなら9000形号」が最期に線路を走るそうです。08:35 秦野駅発、09:40唐木田駅着の予定です。オイラも、午前9時に座間−相武台前間で供養 に当たるつもりです。




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