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テーマを絞った随筆(エッセイ)集です
小田急2200形の思ひ出〜前編〜 2006/10/15
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小田急2200形の誕生は1954年(昭和29年)のこと。当時初のカルダン駆動軽量車とし
て、高性能を発揮したそうです。
現役引退は昭和59年。オイラが高校に通っている頃は、まだまだ現役で頑張っていまし
た。とは言うモノの、車両は小さくて窮屈だし、扇風機だし、うるさいし、臭いし、よく揺れる
しと、ホームに入って来るとみんな顔をしかめていました。
さて、時は1995年。当時、オイラは地域密着型の金融機関に務めていました。その年に
赴任したのが相模大野支店。営業担当エリアは、小田急・大野工場に面する一帯です。
小田急線の走る姿を毎日見て過ごしたのは、町田の小学校に通っていた頃から20年ぶり
のことです。
公団住宅群沿いの道路から、約8年前に引退した2200形の第1号である「デハ2201-
2202」が保存されている姿も毎日眺めることができました。その時のカラー(車体塗装色)
は、白地にブルー1本線の現在の小田急標準色でしたが。
2200形の外観的特徴は、言うまでもなく前面2枚ガラスのマスクです。今でこそ、3000形
が前面貫通扉を廃止しましたが、オイラが実際に見た小田急の車両で、前面非貫通の車
両を見たことがないくらい珍しいです。因みに、その後の2200形のバージョンでは、3枚ガ
ラスの貫通式に変わってしまいました。複雑な編成事情を考えれば、やはり非貫通式は
不便ですよね。
その年の冬。オイラは、日頃のストレスが溜まって胃潰瘍を患ってしまいた。運良く、入
院・手術は免れて完治しましたが、その痛さは半端なモノではありませんでした。その痛み
も、線路沿いの2200形の姿を見れば、幾分和らいだ気がします。少年時代に、2200形が
走っていた姿を思い出すと、不思議に気持ちも癒されてストレスも吹っ飛んでしまうのでし
た。
西暦2000年頃を境に、大野工場の2200形は姿を消してしまいました。経堂もしくは喜多
見の検車区に移されたそうです。
ストレスをも癒す思い出とは何だったのでしょうか。(後編に続く)
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