メインテーマ(My Column)
テーマを絞った随筆(エッセイ)集です
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本日は、JR相模線の誕生日。満100歳だそうだ。
オイラが相模線に初めて乗ったのは小6の頃。相模線が54歳の時だ。
鉄のクラスメートと二人で、茅ケ崎から橋本まで乗り通しました。茅ヶ崎駅ではお茶が売って
いて、あのプラスチックが熱湯で溶けるやつ。木製の固定BOX席で、窓全開にして、田んぼ
の中を走る風が気持ちよかったなあ。硬券の切符に車掌が検礼のスタンプを押しに来るんだ
けど、わざと乗り越していました。車掌が、パチンパチンって清算切符を切ってくれるのが楽
しみでね。切符と言っても、路線図の載った細長い紙片ですがね。手書きする事無く、乗車
日・区間・料金が記される魔法のシステムでした。
当時にオイラ達を惹きつけた相模線の魅力はディーゼル車だった事。ブーンって唸って、信
じられないくらいに悪い加速。
とにかく赤字路線。民営化後は廃線が決まっていました。だから、車両も他線からのお下が
り。しかも、カラーの違う車両が編成されていました。
国鉄ですからね。トイレ付きです。このトイレはボットン式。線路やバラス(砕石)が丸見えの
タイプ。だから、線路はウンコだらけ。駅や踏切付近で用を足すのは御法度な時代でした。
電化はされたものの、単線なのは今も昔も変わらない相模線です。腕木式信号機やタブレ
ット(輪っか)が電化前は当たり前でした。駅員さんは忙しかったですね。走っていましたね。
巨大なスイッチで、腕木式信号機も操っていました。
昭和54年。偶然にも座間高校に入学。勉強できないオイラは、教室の窓から、田んぼを行
き来する相模線を見るのが楽しかったな。相変わらず、色違いの2〜3両の編成。「待って
ー!」って、オバサンを本当に待ってくれる車掌さん。そして、黒い煙を吐いて、超スローな加
速で発車。
電化されたのは1991年。以来、丸30年間走り続けてきた205系は入れ替えが始まります。
205系のクセに左右非対称な正面顔は、当時驚きでした。でも、お下がりじゃなく、列記とした
新型車両で、天国と地獄の違いが電化当時にはありました。
後継車両は「E131系」。更に、その後継をオイラが目にする事はないでしょう。
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