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テーマを絞った随筆(エッセイ)集です

相模線の思ひ出 2021/09/30
 本日は、JR相模線の誕生日。満100歳だそうだ。
 オイラが相模線に初めて乗ったのは小6の頃。相模線が54歳の時だ。

 
 鉄のクラスメートと二人で、茅ケ崎から橋本まで乗り通しました。茅ヶ崎駅ではお茶が売って いて、あのプラスチックが熱湯で溶けるやつ。木製の固定BOX席で、窓全開にして、田んぼ の中を走る風が気持ちよかったなあ。硬券の切符に車掌が検礼のスタンプを押しに来るんだ けど、わざと乗り越していました。車掌が、パチンパチンって清算切符を切ってくれるのが楽 しみでね。切符と言っても、路線図の載った細長い紙片ですがね。手書きする事無く、乗車 日・区間・料金が記される魔法のシステムでした。
 当時にオイラ達を惹きつけた相模線の魅力はディーゼル車だった事。ブーンって唸って、信 じられないくらいに悪い加速。
 とにかく赤字路線。民営化後は廃線が決まっていました。だから、車両も他線からのお下が り。しかも、カラーの違う車両が編成されていました。
 国鉄ですからね。トイレ付きです。このトイレはボットン式。線路やバラス(砕石)が丸見えの タイプ。だから、線路はウンコだらけ。駅や踏切付近で用を足すのは御法度な時代でした。
 電化はされたものの、単線なのは今も昔も変わらない相模線です。腕木式信号機やタブレ ット(輪っか)が電化前は当たり前でした。駅員さんは忙しかったですね。走っていましたね。 巨大なスイッチで、腕木式信号機も操っていました。
 昭和54年。偶然にも座間高校に入学。勉強できないオイラは、教室の窓から、田んぼを行 き来する相模線を見るのが楽しかったな。相変わらず、色違いの2〜3両の編成。「待って ー!」って、オバサンを本当に待ってくれる車掌さん。そして、黒い煙を吐いて、超スローな加 速で発車。
 電化されたのは1991年。以来、丸30年間走り続けてきた205系は入れ替えが始まります。 205系のクセに左右非対称な正面顔は、当時驚きでした。でも、お下がりじゃなく、列記とした 新型車両で、天国と地獄の違いが電化当時にはありました。
 後継車両は「E131系」。更に、その後継をオイラが目にする事はないでしょう。




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